揚州周延 「源平盛衰記 – 文覚」 明治18年【浮世絵】
¥SOLD
【作家】 揚州周延 Yoshu Chikanobu
【時代】明治18年(1885年)年
【技法】木版
【状態】 マージンに少汚れ
【サイズ】 約255mm×373mm
【備考・解説】
この図は文覚が那智の滝で荒行中に一度ならず二度までも死にかけ、不動明王が遣わせたニ童子に助けられるシーンです。 これほどまでにすさまじいまでの荒行に文覚上人が打ち込めたのは、取り返しのつかない過去の過ちに対する悔恨からでしょうか。 文覚は俗名は遠藤盛遠といい、もとは上西門院の北面の武士でしたが、十九歳のときに、人妻である袈裟御前を横恋慕し、 思いあまって夫を殺そうとし、誤って袈裟御前を殺してしまったのです。 この事件をきっかけに盛遠は発心し、剃髪して出家を遂げました。 那智での千日籠りの後、文覚は各地の霊山を修行してまわり、その後に都に戻りました。 都では、文覚は高雄の奥に住み、神護寺の復興を志しましたが、後白河法皇のいる法住寺殿に押し入り大声で勧進帳を読み上げて、法皇の怒りを買うなど、勧進の強引さが目立ち、ついに伊豆に流されます。 【artist】Yoshu Chikanobu 【title】Genpei Seisui-ki 【date】Meiji,1885 【style】woodblock print 【condition】Small stain 【story】 This figure is a scene in which Mongaku almost died during a rough run at Nachi Falls and was helped by Nidoji sent by Fudo Myoo. This composition is a popular composition drawn by many artists. If you have any questions, please feel free to contact us. Thank you.
この図は文覚が那智の滝で荒行中に一度ならず二度までも死にかけ、不動明王が遣わせたニ童子に助けられるシーンです。 これほどまでにすさまじいまでの荒行に文覚上人が打ち込めたのは、取り返しのつかない過去の過ちに対する悔恨からでしょうか。 文覚は俗名は遠藤盛遠といい、もとは上西門院の北面の武士でしたが、十九歳のときに、人妻である袈裟御前を横恋慕し、 思いあまって夫を殺そうとし、誤って袈裟御前を殺してしまったのです。 この事件をきっかけに盛遠は発心し、剃髪して出家を遂げました。 那智での千日籠りの後、文覚は各地の霊山を修行してまわり、その後に都に戻りました。 都では、文覚は高雄の奥に住み、神護寺の復興を志しましたが、後白河法皇のいる法住寺殿に押し入り大声で勧進帳を読み上げて、法皇の怒りを買うなど、勧進の強引さが目立ち、ついに伊豆に流されます。 【artist】Yoshu Chikanobu 【title】Genpei Seisui-ki 【date】Meiji,1885 【style】woodblock print 【condition】Small stain 【story】 This figure is a scene in which Mongaku almost died during a rough run at Nachi Falls and was helped by Nidoji sent by Fudo Myoo. This composition is a popular composition drawn by many artists. If you have any questions, please feel free to contact us. Thank you.